「ぼくのまち」

  僕は、この街が嫌いだ。
 心地良さそうに揺れる木々、その間から大きなビルが見える。
 その向こうにはもっともっと大きいビルが並んでて、
 なんだか僕は恐い。
 「トウキョウ」なのは変わらないよってお父さんは言っていた。
 でも、新しい景色、見慣れない窓の外。
 ここが「トウキョウ」だなんてどうでもいい。
 ここは、僕の知らない街。
 僕は、好きになれそうもない。
 それでも、今日から僕は、ここに住む。

 「ヤマト、引越し早々すまんが、お父さん、仕事が今忙しいんだ。
  明日の朝は、ここにカップラーメン置いとくから、自分でお湯いれて
  食べられるな?留守番たのむぞ。」
  お父さんは、あいかわらず家にいない。
 でも、今日からは母さんも、タケルも、家にいない。
 「うん、大丈夫。お仕事がんばってね。」
 「よーし、いいこだ。じゃ、おやすみ。」
 「おやすみなさい。」
 昨日まではタケルと同じ部屋、でも今日からは、僕1人の部屋。
 電気を消したら、真っ暗になった。
 少し恐かったので、僕はいそいで枕もとのスタンドをつけた。
 それでも、となりにいるはずの弟がいなくて。
 小さな、可愛い、僕の弟はいなくて。
 すごく恐い。
 真っ暗と、なんら変わりない。
 僕は、今日から1人。

  真っ暗闇の中で、僕は1人考えた。
 お父さんとお母さんと僕とタケルは、どうして離れちゃったんだろう。
 僕たちは、とっても仲のいい4人家族で、幸せに毎日暮らしてた。
 ねぇ、そうだよね?
 お父さん、お母さん、タケル。
 どうして、僕たちバイバイしなくちゃいけなかったの?
 4人で、ずっと暮らせるはずじゃなかったの?
 ここへ来る途中の車の中で、一度だけお父さんに聞いてみた。
 お父さんは、教えてくれなかった。
 だまりこんで、キュッと唇をかんで、つらそうな顔で。
 そうして一言だけ、言った。
 「今はまだ、何も知らなくていいんだよ。」
 でも僕は知りたかった。
 知りたかったけど、それ以上は聞かなかった。
 本当は、少しだけ知っていたから。

  あれはすごい雷の日だったかなぁ。
 お父さんは、いつものごとく帰りが遅かった。
 僕たちが寝るころも、当然帰ってこなかった。
 でも、そんなのはいつものことだから、何でもないと思ったんだ。
 僕も、タケルも、何も考えないで眠った。
 でも、寝ているときに、何か大きな物音がした。
 僕はそのせいで起きてしまい、ちょっと不安になって、
 お母さんのところへ行ったんだ。
 そしたら・・・・・・。

  見たこともない光景に、僕は息すら満足にできなかった。
 泣いている、お母さん。何か怒鳴っている、お父さん。
 そんな2人は見たことがなくて。
 2人の怒鳴り声は、雷に混じってもっと恐い音になった。
 さらに何か鈍い音と、いすが倒れた大きな音、
 僕はそこにいるだけで恐くて仕方なくて、耳をふさいだ。
 頭をかかえて座り込んでも、なおその音はまだ聞こえてくる。
 僕が行って2人を止めようなど、考えもしなかった。
 恐くて、恐くて、そんなことできるハズもない。
 何かが壊れていくような気がした。
 それ以上その場の空気を吸いたくなくて、僕は寝室へと駆け出した。
 嫌だ。嫌だ。
 そのとき、僕にはかすかだけれど確かに聞こえた。
 お母さんのかすれた声で、
 「リコン」と。

  目覚めたら、もう朝だった。
 考えているうちに、眠ってしまったらしい。
 目をこすりながら起き上がってみると、
 そこには置手紙とカップラーメンがポツン、と置いてあった。
 それだけだった。
 『ヤマトへ
  おはよう。よく眠れたか?
  お父さんは仕事に行く。いいこで留守番してろよ。
  ちゃんとラーメンも自分で作るんだぞ。
  もう、何でも自分でできる、お兄ちゃんだもんな。
  じゃ、早めに帰るから、待っててな。』
 ちらりと、あたりを見回す。
 薄暗くて、誰もいない。
 お母さんも、タケルも、いない。
 僕はもう1人で何でもできるんだ。
 だから、いなくても大丈夫。
 どうしてもみんながいたときのことを考えてしまう自分の頬を一発
 たたいてから、僕は洋服に着替えた。

  カップラーメンにお湯をそそぐ。
 タケルのために、結構やったこともあったから、少し手慣れていた。
 そういえば、よくカップラーメン食べたいってだだこねて、
 お母さんに叱られたりもしたっけな。
 でも、だからこそたまに食べるそれがおいしくって。
 あのとき、お母さんがしてくれたことを、今僕は自分でやってる。
 大丈夫。
 1人でも、大丈夫。
 そんなことを考えてたのが悪かった。
 ふいに足元がぐらついて、僕はやかんを持ったまま、いすから落ちてしまった。
 「熱っ!!」
 すごい痛みが、足全体を走った。
 しかも一瞬でそれは終わらず、じわじわと痛みは増していく。
 やかんは転がり、あたりはびしゃびしゃ。
 そのこぼれた水からは、湯気がたっている。
 僕はお風呂場へ走り、いそいでシャワーの水を足にかけた。
 「いたっ・・・いたいっ、いたたっ!」
 痛い。すごくヒリヒリする。どうしたらいいんだ?
 落ち着いて、順番に考えてみる。
 ちっぽけな記憶を一つ一つ探ると、お母さんの笑顔と、
 その感触が思い起こされた。
 『ヤマト、どうしたのっ、大丈夫?』
 『可哀想に、熱いでしょう。すぐに冷やさないと』
 『ちゃんとお薬もつけましょうね』
 いつかやさしいお母さんがしてくれたこと、
 あぁそうだ、僕は1人だから、僕が自分でやらなくちゃ。
 「お薬・・・お薬・・どこ・・・。」
 家中の戸棚をあけて、引出しをあけて、僕はお薬を捜した。
 お母さんがぬってくれた、あのお薬はどこだろう?
 家中駆け回って、捜した。
 ない。ない。ない。ここもない。
 疲れて、その場に座りこんで、僕はやっと気づいた。
 そこに残るのは、足の痛みと、散らかった部屋だけで。
 僕は、1人じゃ何もできない・・・。

  その途端、僕は家をとびだした。
 走って、走って、走れるところまで走った。
 お母さん、お母さん、お母さん。
 雲行きはあやしくなり、あたりは薄暗くなっていく。
 少し寒かったけれど、僕は走った。
 とても恐かったけれど、僕は走った。
 もう一度、あのあたたかいところへ、
 もう一度、あの安心できるところへ、
 帰れるような気がしていたから。
 僕が、走って走って走って走ってどこまでも走れば、
 たどりつけるような気がしたから。
 僕が、いちばん大好きだった場所。
 お父さん、お母さん、タケル、そして僕。
 4人が一緒に笑いあえる場所。
 僕の大切な…―――。
 
  ポツリ、ポツリ、と小さな雨の雫が僕の頬をかすめた。
 だんだんと、その雨の雫の量は増えていく。
 そしてついには雨がザーザーと降り始めた。
 それでもかまわず、僕は走る。
 「お母さぁ―――――――ん!!!タケル――――!!!」
 声がかれるほど叫んだ。
 それでも返事は何もなく、僕はもっと大きな声で叫んだ。
 それもむなしく響くだけだった。
 「お母さっ・・・わぁ!」
 水溜りですべって、ようやく僕の足は止まった。
 立ち上がって走ろうとしても、もう息がきれて何もできない。
 声もかすれて、大きな声で呼ぶことなどできない。
 冷たい雨が、僕の髪や、服を濡らす。
 僕は、1人じゃ何もできない。
 一番大切なものさえ、取り返すことができない・・・。

  雨の中一人ぼっちだった。
 僕は、1人でうずくまっていた。
 雨はいよいよひどくなり、雷まで鳴り始めた。
 そして最初の雷が落ちた瞬間、寒気が僕の全身を襲った。
 「や・・やめて!恐い・・恐いよ!」
 思い出されるのは、あの恐ろしい日。
 次々と落ちる雷。
 母さんの泣き顔。
 父さんの怒鳴り声。
 そして、1人でうずくまっている僕。
 「うっ・・うぅっ、恐いよ・・恐いよ・・」
 恐さと、自分の無力さと、1人でいることの寂しさが混じって、
 それらは僕の涙となって頬を流れた。
 それでも、無情に鳴り響く雷。
 恐い。恐いよ。雷も、1人でいることも。
 「うあぁっ・・ひっく、うっ・・うっ・・お母さん・・・。」
 僕は1人だ。
 一人ぼっちだ。
 あの、あたたかい場所は帰ってこない。
 もう僕たちは、4人でいられない。
 ねぇ、どうして僕たちは、離れなきゃならなかったの?
 教えて。教えて。お願い。
 お父さん、お母さん・・・。
 
 「雨に濡れるとはげるんだぜぇ?」

 ふいに、誰かの声がした。
 そして、傘をもった小さな手が、僕の前に差し出された。
 これは、夢?
 「ホラ、風邪もひくし。傘はいっていけよ。」
 茶色い髪の毛と、茶色い目。
 小さいけれど、あたたかい手。
 君は誰?
 聞きたいけれど、声がかれて言葉がでない。
 僕は顔をあげて、まじまじと彼を見つめた。
 「あれ?なんで泣いてんの?雷、恐いのか?」
 言われて、ハッと気づく。
 恥ずかしいところを見られてしまった。
 知りもしない誰かに。
 僕は急に恥ずかしくなって、うつむいた。
 どういう顔をしたらいい?
 お願いだから、何も言わずに去っていって。
 お願い、もう顔を見ないで・・・。
 そんなことを考えていたら、フワリとした何かあたたかい感触に包まれた。
 小さい腕で、僕の体をしっかりつかんで。
 お母さんとは違うけれど、居心地がとても良くて。
 何故だか安心できて。
 「大丈夫大丈夫。俺がいるから大丈夫!」
 誰だろう、この人は。
 どうしてこんなにあたたかいのだろう。
 彼は楽しそうに笑いながら、俺の髪をポンポンと軽くたたいて、
 俺を励まそうとしてくれているみたいだ。
 しっかりと、つかんでくれているのを感じ、
 僕は、訳のわからない安心感のせいで、余計に泣いてしまった。
 僕の方も、彼の服をしっかりとつかんだ。
 心の中のわだかまりが、すっかり吹き飛んでしまう。
 雷の音は、もう僕の耳に届かなかった。

  しばらくすると雨はあがり、彼は一言
 「泣き止んだ?」
 と聞くと、僕の顔をのぞきこみ、ニコリと笑うと、
 すぐにその場を走り去っていった。
 雨の中、ずっとずっと抱きしめてくれていたその腕のあたたかさが、
 そのあともずっと残っている。
 彼は、誰だったのだろう。
 でも、この街の誰かなんだな。
 ほんのささいなことだったけれど、僕の心はそれだけで明るくなった。
 なんだかとてもワクワクする。
 昨日見たときはなんだか嫌だった街の景色も、別に嫌じゃない。
 1人だとか、そういうのがどうでもよくなった。
 今度の新学期から僕が通う、「新しい学校」に、彼はいるのだろうか。
 この、胸のドキドキはなんだろう!
 僕はくるりと後ろを向き、スキップをしながら家に帰った。

  僕が今見ている景色の一つ一つが、この街。
 僕が、これから住む街。
 彼もきっとずっと住んできた街。
 僕はこの街で、また彼に会えるだろうか。
 何か素敵なことが、この街で待っているだろうか。
 うん、きっとそうだ。
 僕が無くした何かが、この街にあるはずだ。
 
 僕は、少しだけこの街が好きになった。
 



      END



 まだお互いを知らない頃の、
 運命の出会いっぽいのがやりたかったんです〜!!
 うふふヤマトちゃん、それはあなたの結婚相手よぉ!
 ・・・みたいな。(?)
 石田パパとナツコがケンカしたのがそんな日だったとか、
 ヤマトがカップラーメン好きだとか、
 私はそんなの知りません。(苦笑)