「灰色の虹・1」


  それは、あまりにも突然訪れた別れだった。

  誰の心も知らず、ただ空気だけが澄んでいた。風が時に強く吹き、
 痩せた木々を、人々の髪を、そして心さえも、揺らしてとおりすぎて
 いった。ただ淡々と続けられる読経の声と、押し殺したすすり泣きの
 かすれた声が、あまりにもアンマッチに溶け合っていた。黒い服を着
 た参列者の行列が、俺たちに現実をつきつけてくるがまったく受け入
 れることができない。それでも、俺たち7人は理解せざるをえなかった。

  太一が、死んだのだということを。

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 「・・・・・・ごめん。やっぱり私・・・まだ無理」
  長い沈黙をやぶったのは空だった。
 ヒカリちゃんを除く6人で、葬式のあとにファミレスへ行った。
 ヒカリちゃんは肉親なので火葬場まで行ったのだ。しかし俺は、
 火葬場まで行けないことに内心ホッとしていた。きっと他の皆も
 そうだったろう。太一が骨になった姿など・・・想像したくない。もし
 その現場でそんな太一に直面してしまったなら、現実と心の乖離に
 頭がおかしくなってしまったに違いない。しかしそのまま帰るのも
 何か太一を置いてけぼりにしてしまうような心地がして、なんとな
 く、誰が何と言わなくとも、俺たちはファミレスに集まっていた。
 しかし料理を頼むまでは普通でも、それから先は全員が全員、黙り
 込んでしまった。ただ、カチャカチャとナイフとフォークを鳴らし、
 淡々と料理を口に運ぶ。でも、怖いくらいに何の味もしなかった。
 そして食事が終わりにさしかかる頃、空がふいにフォークを丁寧に
 皿におき、ついに口を開いたのである。
 「・・・僕も、そうだよ。」
 丈が返答する。ミミちゃんは、表情を固く凍らせたまま静かに頷いた。
 光子朗も続いてフォークを置く。カチャリ、と小さな音がした。
 「僕も・・・いまいち状況が飲み込めていない状態というか。まだ・・・
  今にも太一さんが・・・いつもどおりの顔で現れそうな気さえ・・・」
  それからまた、皆黙ってしまった。ミミちゃんは、静かにはらはらと
 涙を流し始め、空もハンカチで顔を覆った。
  俺はというと・・・ただ呆然と、空になった皿を見つめているだけだった。

 「お兄ちゃん・・・今日は、お兄ちゃんのうちに泊まっても、いい?」
  沈黙の会がお開きになると、タケルが言った。
 「あぁ」
 「僕、夕ご飯作るよ。」
 「気つかうな。久しぶりなんだ、もてなすぜ。」
 「それじゃ」
 タケルは立ち止まって、俺の目をまっすぐ見た。
 それを俺がそらす。
 「意味ないじゃない。」
 「なんでだよ。俺が高校に入ってから初めてじゃないか、来るの」
 「それはそうだけど。僕は・・・」
 「あのな、慰めとかだったらいらないぜ。お前にとってだって、太一は
  大事な仲間だったはずだ。」
 「お兄ちゃん、」
 「それに」
 視線を足元にうつす。
 「正直何が起こったか、まだよくわからないんだ。」

  結局タケルに押し切られ、夜はタケル作のカレーを二人で平らげた。
 テレビを見ていると、タケルが隣に座ってくる。何を言うでもなく、
 くだらないテレビをただ流した。馬鹿馬鹿しいバラエティ番組も、地球の
 環境に関する神妙なドキュメント番組も、あまり頭に入ってこなかった。
 でも入ってこないなりに笑いどころでは笑ってみたりして、そうすると
 隣のタケルが、心配そうな不思議そうな複雑な視線を向けてきた。俺は
 気づいているが、気づかないフリをする。ただ時だけがすぎた。
 「・・・タケル、本当に泊まってくか?」
 「もちろんだよ。だってお兄ちゃん・・・」
 タケルは言いかけてやめ、代わりにほほえみながら言った。
 「もてなしてくれるんでしょ?」
 気づかないフリ。今はまだ。気づかないフリを。
 つきつけられた現実からも目をそらし、完璧な笑顔を用意して。
 「あぁ。もちろんだ。」
  俺は笑っていた。

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 「学校は、どんな様子だったんだ?」
  翌日。俺は空と駅前で待ち合わせ、カフェで向かい合っていた。
 空は、高校も太一と同じところへ入った。きっと、最も近くで太一のこ
 とを見ていただろう。クラスこそ違うものの、太一との絆は切っても
 切れないものだと、信じていたはずだ。
 「うん・・・大騒ぎだった。でも皆、あまりあたしには多くを話してくれな
  かったわ。・・・気をつかわれていたのかもね。」
 「そうか・・・。」
 「私、ヤマトと別れてから、ずっと太一と噂されてたから。皆あたしが
  恋人を亡くしたと思ってるのね。」
 「・・・でも事実、そうなんだろ。」
 「全然違うわよ。付き合ってるわけじゃないもの。」
 「空・・・」
 「ごめんね、ヤマト。」
 「え?」
 「結局、太一へのキモチは、一生叶わなくなっちゃった。」
 「・・・・・・」
 「それであなたのこと捨てたのにね。でもまだ、太一はあたしの中でずっと
  キラキラしてるの。こんな尻切れトンボな終わり方、あんまりよ。これ
  じゃぁ・・・太一は永遠に、キラキラのままよ。届かないものほど、手を
  のばしたくなるじゃない。それが届いたら、実はそんなにキラキラして
  ないことに気づいたりして、でもそれでかえって安心したりするのよ。
  でもこれじゃ、あたしは一生安心できないわ。一生・・・太一のキラキラ
  を夢見て生きるのよ。」
 「俺の中でも・・・太一はキラキラのままだ。」
 「そうね、あたしたち全員に、太一は輝いて見えてたわよね。」
 空は少しうつむいて、カップのキャラメルマキアートをひとくちすすった。
 「それが」
 「これきりなんて、信じられない。」

  そして空は、太一の思い出を語り始めた。
 いや、思い出というにはふさわしくない。あまりにも現実味のある、いかにも
 太一がまだ生きてますというような口ぶりだった。
  太一は部活では後輩にも先輩にも好かれる最高のキャプテンだったという。
 成績もまぁそこそこで、後輩の女の子によくモテた。しかしその飾らない性格
 ゆえ、同性からもけして嫌われることはなかった。カリスマ性があって、
 情熱があって。
 「そうか。昔とあまり、変わらないんだな。」
 「えぇそうよ。ちょっと安心するでしょ?」
 空の暖かい眼差しを、さえぎるような口調で俺は冷たく言い放った。
 「いや、変わっていたほうがよかったよ」
 空の表情は、悲しみに変わる。
 「変わっていたら、こんなことにはならなかっただろ。」
 交通事故。と呼んでしまうにはあまりに悲劇すぎる。
 太一は、自殺しようとした後輩を止めようとして、歩道橋から落ちた。
 そこにトラックが突っ込んできたのだ。
 弱いものを、けしてほっとかない太一だから、死んだ。
 空から聞いた、昔と変わらない太一の像が、その顛末を納得させる。
 でもどうか、まだ納得させないでくれ。
 俺はまだその現実を受け止めたくなんかないのに。
 「・・・ヤマト。」
 空の目から、涙が落ちる。
 「なんで、太一が死ななきゃいけなかったの?」
 最後は途切れ途切れになって、よく聞き取れなかった。

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  人に語り継がれることで、事実は事実たりえるのだろうか。
 ただ太一が死んだと聞かされたときよりも、空と話してからその現実が
 少し色濃くなった。太一が死んだ?そんな馬鹿な。でも、その事実に
 直面してる人間が、俺以外にたくさんいる。その事実を知る人間どおしで
 その認識を共有したとき、認識は真実に変わるのかもしれない。
 だとしたら、俺が一人こもって、太一は生きていると確信しつづけたならば
 太一は生きていることになるのだろうか。そんなはずはない。

  俺は中学を卒業してから、太一とは疎遠になっていた。
 高校も、シュミもバラバラであったし、勉強に部活に忙しくなり、こんなに
 近い互いの家を行き来する時間さえとることができなかった。それでも
 互いを理解していると、そんな妙な確信があったのはどういうわけだ?
 こんなことになるまで、自殺においやられそうな後輩の存在など知りも
 しなかった。太一の変わってない様子さえ、知らなかった。ただ、こんな
 ことになってしまった以上、太一が変わってしまっていてくれればよかった
 と思うのは、先ほど空に言った理由だけではない。太一がもし、死ぬ前に、
 全然違う人格に変わってしまっていたら、すべてをゼロにできるような気が
 したのだ。太一と俺の、すべての関係を。
 
  それは誰にも言えない秘密の関係だった。あの冒険のときから意識し、
 中学に入ってからは、”そういう”こともする間柄になった。だから、
 「恋人を亡くした」のは俺のほうなのだ。もっとも、そんな関係を互いに
 確認しあったことはない。ただ、「好き」だと言い合い、触れ合いたい
 キモチを共有していた。だが、それも中学を卒業するまでのこと。その
 後は、一度入りたての5月くらいに体を重ねたきり、それぞれの日常に
 追われついには連絡さえ途絶えた。だから、死の直前まで俺が太一の
 「恋人」だったかどうかはわからない。太一が死の間際、思い浮かべた
 ものはなんだったのか。でもそんなことをいくら思いつめても、太一は
 もう二度と帰ってこない。ならば。いっそすべてをゼロにしてしまえば。
 つらいことはない。

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 「じゃぁな、石田!来週までに歌詞考えておけよ!」
  いつもどおりにバンドの練習が始まり終わった。俺は高校に入ってから
 バンドをカケモチしていて、こちらのバンドの連中は、太一のことは
 知らない。だから俺が言い出さない限り、気を使ったりしてくることは
 なかった。楽だ、と思った。淡々と日常をこなすことができる。太一が
 死んでから、もう一週間がたっていた。
 
  実際人が一人死ぬなどということで世界が変わることはなく、高校では
 授業が始まって終わるし、バンドの練習も始まって終わる。日も暮れる。
 ”太一”を知らない連中とすごす時間は、俺を余計に冷静にさせた。
 もしかしたら、俺はこのままやっていけるんじゃないか?
 太一がいないのなんて、別にもうトクベツなことではない。
 太一はうちにも来ないし、学校に行ってもいない。それがいつもどおりで。
 そんな日々だったから、余計に太一の死という事実はつかめなかった。
 どういう状況なのか、リアルにしみこんでこないのだ。

  宿題にされた歌詞のついていない楽譜を、一人開いてみる。
 なんともタイムリーなことに、テーマは「別れ」らしい。
 一人きりの寒い部屋で、ストーブをたくのも面倒くさく、ただ分厚い
 トレーナーを羽織って、机にむかった。今日も親父は帰ってこない。
  しかし、考えても頭の中に音楽が流れてこなかった。
 暗がりに一つ机のライトだけを灯し、冬の闇は広がっていた。
 俺は、なんとなく、窓をあけてみる。
 透き通った冬特有の冷たい風が、すでに冷えた頬をかすめ、通過していく。
 それは、あの葬式の日の空気に少し似ていた。
 と、頭の中で、太一の像が動き始める。
 
  思い返してみれば、高一の春、太一はこの窓から顔を覗かせたのだった。
 一ヶ月も会っていなかった。中学の頃、週に2回は体を重ねていた俺たち
 にとって、それは限界の空白だった。
 「へへ、2階なら楽勝だぜ」
 と、にやけて言った太一を俺は殴り、
 「落ちたらどうするつもりだ!!!」
 と、怒鳴った。太一は、ちょっとだけおどけてみせると
 「へーきだって。愛の力で着地する。」
 と言ったかと思うと、窓枠を乗り越え部屋に侵入した。窓際ぎりぎりにいた
 俺と窓の隙間に無理矢理入り込むと、急に真剣な顔になって、言った。
 「会いたかった」

  ふと気づく。困ったことになった。部屋は凍るほど寒くなっているのに、
 自分のそこは熱をもってしまっている。それからの顛末を、思い起こした
 からだろうか。
  親父は、今日は帰ってこない。俺はゆっくりと机につくと、ライトの
 明かりを消した。風はどんどん入ってくる。
  そっと、服の上からそれに触れる。自分で触れているかと思うと、
 恥ずかしくて仕方なくなるので、思い出の中の太一に思いをはせた。
 思い出?そう呼んでいいのだろうか。思い出せばこんなにも生々しい。
 それだけで熱をもってしまうほどに。”死んだ”という事実なんかより、
 ずっと現実味がある気がした。
 「ん・・・」
 服の上からでは、全然たりない。すぐにジーンズのファスナーを下げ、
 下着の中に手をすべりこませた。あのとき太一はそうしたのだ。そして
 反対側の手で俺の手をとると、ズボンの上から勃ち上がりつつある自分の
 それにあてがうと、耳元で熱のこもった声でささやいた。
 お前が足りない、と。

 「ふ・・・ん・・・」
  自分だとわかっていても、つい声が漏れてしまう。誰も聞いている
 ものはいないという確信がないと、自分では集中することができないが、
 今は思う存分太一に脳内変換することが許された。
 ただ、ただ、すりあげる。そして太一がしたように、胸の突起をつまんだ。
 「あ・・」
 太一のように器用に、かつ乱暴にはなかなかできない。それでも懸命に
 記憶の中の彼を重ねた。
 記憶を頼りに、指を這わせる。うねるような快感を、何度も直前で止めた。
 太一はそういうところが意地が悪かった。イかせてくれと、言わせようと
 してきたものだ。でも今は。
 「あっ・・・んっ・・・んんっ・・・」
 たまらなくなって机をたち、ベッドに転がった。感じるままに、体をしならせ
 たかった。指を入れる。荒々しくかきまわす。違う。まだ違う。太一はもっと。
 どうしてもかゆいところに手が届かない感覚が残る。太一だったら、自分の
 感じるところをもっと完璧に知っていた。飢えていたあの日の太一は、我慢
 できないというように、ピンポイントでその場所ばかり攻めてきた。どこだ。
 もっと。もっと、こう、しびれるような・・・
 「あぁっ、はんっ」
 瞬間、太一に指を入れられたような心地がした。指を抜き差しする。前も、
 激しくすりあげた。腰のあたりでうごめいていた快感が、どんどん背中を
 かけあがっていく。
 「たいちっ」
 返事はないのだ。すがりつく背中も、熱い吐息も、もうない。
 「あっ、あっ、あぁっ」
 喘ぎ声に答えてくれる器用な腰を、思った。
 自分の中で膨張し、自分の内側を激しく踏み荒らす中心を、思った。
 「そっ、そこっ・・・やっ、だぁっ・・・」
 涙を拭いてくれる赤い舌、汗ばんだ首筋、あやしく動く指先。
 すべてが、現実に直に触れていたのに。
 「イ・・・きたいっ、イくッ、イくぅっ」
 すべてが、もうないなんて。
 快感が脳天を貫いた。自分の手の中に、自分の放つ熱い液体が流れ込む。
 ひととおり体を震わせると、もう思考は停止していた。
 太一のいなくなったシーツにつっぷすと、しばし呆然とした。
 冷えていた。下半身のだるさだけが、新しい記憶として覆いかぶさった。
 
 太一がもういない?そんな馬鹿な。
 もう太一に触れてもらえないなんて。
 半年以上も前の行為が、最後になるなんて。

 気づけば涙が、頬をつたっていた。
 開け放しの窓から入る風が、俺の髪をなでていた。
 
   



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 すみません、続きます・・・。