「灰色の虹・3」


 「・・・お邪魔します」
 「どうぞ。」
  病弱そうな雰囲気をいつも以上にまといながら、彼女は戸をあけた。
 俺は首に巻きつけた黒いマフラーをはずしつつ、彼女の背を見ていた。
 振り返りもせずに廊下を進んで行く彼女の短い後ろ髪は小さく揺れ、
 突然の来客に何とも言われぬメッセージを投げかけているようにさえ
 思えた。・・・彼女と会うのは、あれ以来初めてのことだ。
 「お母さんはでかけてるから、とりあえずリビングでいいかしら?」
 「あぁ、話ならここでかまわない。」
 「そうよね。どうぞ、座って。」
 ヒカリちゃんは、音もなく食卓の椅子に腰掛けたかと思うと、神妙な顔を
 俺に向け、何か決意したみたいな口調で言った。
 「光子朗さんから、話は聞いてます。」
 そうか。それならば、話は早い。
 「何か近頃・・・太一の動きに不審なことはなかったか?」
 「いえ・・・私は気づきませんでしたよ。私にはお兄ちゃんはいつもどおりに
  見えた。・・・とはいっても、お兄ちゃん部活で忙しくて、最近はほとんど
  顔も合わせていなかったんですけどね。」
 「・・・そうだったのか。」
 「ヤマトさんは?ヤマトさんはお兄ちゃんと会ってはいなかったんですか?」
 「俺も同じだ。最近の太一のことは、あまりわからない。」
 「そうですか・・・ヤマトさんとは、会っていてほしかったな。」
 彼女の瞳は、急に悲しさを帯びて視線を落とす。
 「私、お兄ちゃんがだんだん遠くなる気がしてたんです。」
 感情はあまりこもらない。でもその無感情さが、逆に感情を演出する。
 「お兄ちゃんが変わっていないのは知ってたし、不審なことは何もなかったの、
  でも、高校に行ってどんどん自分の世界を広げて行くお兄ちゃんは、
  どんどん私から遠ざかって行くみたいに思えた・・・。」
 俺も同じだ。だが俺の場合、俺自身も自分の世界をひろげていたから、
 その寂しさに気づけなかった。でもヒカリちゃんは、その太一の姿を、
 自分は変わらない位置からずっと見ていたんだ。
 「それで、この結果でしょう。私すごく、ショックでした。お兄ちゃんは
  必ずこっちに戻ってくるって信じていたから。そして、それに対して
  何もしなかった自分を、すごく恥ずかしく思った。だから今まで、
  お兄ちゃんを知っていた仲間たちに会えなかったの。でも、私、
  このままじゃいられません。今からでも、できることがあると思ったんです」
 そう言って俺に向けられた目は、強く輝いていた。けしてそれは希望の光
 ではなかった。それでも、強く、彼女の中に重大な決意が生まれたかのように、
 その目は新星の光を放っていた。しっとりと、ただ力強く。
 「そうだ。」
 俺は手をきゅっと握って彼女を見つめ返した。
 「一緒に、太一の死の真相を、確かめよう。」
 「ええ。ちょっとこっちに来てください。」
 そういってヒカリちゃんは立ち上がると、俺を手招きして階段へ向かった。
 彼女が案内してくれたのは、もう何度も立ち入ったことのある懐かしい部屋。
 太一の部屋だった。
 俺の部屋に、次第に数々の思い出が蘇ってくる。太一の制服がかけてあった。
 2段ベッドもそのままで、下の段が物置と化していた。整頓されているとは
 とても言い難い。そこにヒカリちゃんは手をのばし、何かをごそごそと探し始めた。
 「見てください。これを。」
 ヒカリちゃんが俺の目の前につきつけてきたのは、忘れもしない、一つの電子機械。
 デジヴァイスだ。おそらく太一の。
 「デジヴァイスか。懐かしいな。これが何か・・・」
 「これ、ずっとこんなところにあったんですよ。」
 「え?」
 俺でさえ今もポケットに入っているこの機械を、太一はずっとこんなところに?
 「お兄ちゃんがそのとき持っていた鞄に入っていなかったから、私、探したんです。
  そしたらこんなところで見つかって・・・。いつから持ってなかったのかは
  わかりません、でも・・・お兄ちゃん、亡くなる前日、うちに帰ってきてないんです」
 「ちょっと待て、ということは、つまり・・・」
 「はい、そうです。光子朗さんが言ったように、お兄ちゃんがもし最後の日の
  前日にデジタルワールドに行ったのだとしたら、そのときお兄ちゃんは
  デジヴァイスを持っていなかったんです。」
 「でもデジヴァイスがなきゃ、ゲートは開けられないよな?」
 「はい・・・だから、」
 「太一はデジタルワールドに”行った”んじゃなくて、」
 「・・・引きずり込まれたんだと思います。」
 しばし沈黙が続く。やはり、太一の死はデジタルワールド絡みなのか?
 だが、太一が死んだのは現実世界での話だ。歩道橋から落ちて・・・という顛末は、
 間違っているはずがない。それに、後輩の自殺未遂はどうなる?
 「そう、なんですよね・・・」
 だが、太一の死に何かあるのでは、という疑問はどんどん固まってくる。
 「とりあえず俺は、光子朗ともう一度話をしてみるよ。」
 「・・・よろしくお願いします。」
 するとヒカリちゃんは、突如俺の手をとって、俺の手の平に自分の手の平を
 重ねた。デジヴァイスを握り締めた、その手を。
 「これはヤマトさんに預けておきますね。」
 驚いて彼女の目を見返すと、彼女は今日一番の穏やかな目をしていた。
 「・・・多分、お兄ちゃんもそうして欲しいと思うから。」

  俺は寒空の下、早足で歩いた。というよりは走ったという方が適切で、
 俺の吐く白い息は次第にテンポを速めていった。大切な、大切な、太一の
 形見ともいえるであろう小さな機械をポケットで握り締めて。
 成長した俺の手にとってこれはあのときよりずっと小さく感じられたが、
 存在としては同等の大きさを感じていた。もう持ち主のところへ帰ることの
 ないこの機械は、もう二度とあのときのようには輝かないのだろうか。
 機械的に同じテンポで俺の口から吐き出される息は、そんな気持ちが募るにつれ
 溜息の比率を増していく。
  その道中、もう片方のポケットに振動を感じた。さっとそこから携帯を
 取り出すと、携帯の小さなサブディスプレイは、もう二度と見たくないような
 人間の名前を表示していた。
 ・・・昨日のギター野郎だった。
 ふとそこに共に表示されているデジタル時計に目をやると、この時間に
 ミーティングをやるといった約束が脳裏に蘇ってきた。
 だがもしかしたら違うかもしれない。
 行ったらまたこいつだけがそこで待ち受けているかもしれない。
 それに今は、そんなことより重要なことがある。
 重要なことを、俺は今もう片方の手で握り締めているのだ。
 迷いなく、通話を拒否した。
 もうこれ以上、俺に関わることは許さない。

  光子朗は、待ってましたと言わんばかりに玄関先で待っていた。
 「話したいこととは何ですか?」
 「あぁ、太一のことに関してだ。」
 「わかってますよ。」
 半ばあきれるような声をだし、目を細めた。まぁ今の俺たちがこうも必死に
 なることは間違いなくひとつしかない。言うまでもないことだった。すまないな。
  俺はヒカリちゃんとの話の内容を端的に話した。光子朗はだいたい予想できて
 いたかのような態度で頷き続けた。そして一通り話を聞き終えると、そこで
 ようやく、
 「まぁ、中で話しましょうか。」
 と、マンションの一室の扉をあける。どうやら俺はそんなツッコミすら入れられない
 ほどまくしたてていたらしい。冷えた頬を、フワッとした泉家の暖かい空気が
 包み込む。一瞬だけだが、落ち着いた。ところで、こんなに冷静さを欠いたのは、
 いったいいつぶりのことなんだろうな。
  そしてまたあのおだやかで優しい母親の前を通り過ぎて光子朗の殺風景な
 生活観のあまりないプライベートルームで、若干2名の会議が始まった。
 俺は、ずっと握り締めていた太一のデジヴァイスをとりだす。冷え切った全身の
 中で、この手だけは熱を帯びていた。
 「これが太一のデジヴァイスだ。あの日の前日からそのときにかけては、
  あいつの手元にはなかったとヒカリちゃんが保証している。」
 「そうですか・・・やはり、そうなんですね。」
 光子朗はいつものように手をアゴのあたりにつけ考える姿勢をとっている。
 「僕もあのあと解析を続けたんですが、太一さんがデジタルワールドに行った
  形跡というのがですね、どうも妙なんですよ。太一さんがゲートをくぐった
  記録はデータに残っているんですが、ゲートをあけたという記録がないんです。
  そしてやはり太一さんはデジヴァイスを持っていなかったということは、
  自らデジタルワールドに行ったのではなく、何者かに引きずり込まれた、と
  考えるのが自然だと思います。」
 「・・・やっぱり太一が死んだのは、デジタルワールド絡みなのか。」
 「おそらくはそうでしょうね。」
 「だが、太一は現実世界で死んだことになってる。自殺未遂をとめたって話に
  なってるってことは、とめられた後輩がそう言っているんだろ?こっちで
  歩道橋から落ちてトラックにひかれたことは、間違いないんだよな?」
 「えぇ、間違いないことになっていますね。」
 光子朗は興味をなくしたように俺から視線をはずすと、ノートパソコンを
 起動しながら言った。
 「しかし・・・以前話したかと思いますが、デジタルワールドで死ぬことと
  こちらの世界で死ぬことは同義だということはご存知ですよね」
 俺は何も言わずただ頷いた。光子朗は続ける。
 「僕は疑問に思っていたんです。デジタルワールドで万が一命を落とした場合、
  現実世界ではどういった死因になるのか、ということを。」
 「と、いうと?」
 「有機的な肉体がデータ化してそれが消去されるだけの話なのですが、
  それは現実世界の一般人にとっては非常に幻想的な話です。神隠し的な
  御伽話が成立することになってしまいます。僕らのようにデジタルワールドを
  よく知る者以外の人間にとっては、それは非常に不自然なことです。
  ですから、デジタルワールドでの死は、デジタルワールドという世界の存在を
  一般人類に示唆し得る出来事なのですよ。」
 「まぁ・・・そうかもしれないな。」
 「そこでなのですが、もしその死に関わったデジモンやデジタルワールド関係者が、
  自分の存在を隠したいという意思を持っていたらどうだと思いますか?
  ・・・おそらく、その死を現実世界のものにとって『自然な』ものにしたがる
  でしょう。そうすればその死への疑念はなくなりますし、まさかデジタルワールド
  などというパラレルワールドの存在に気づくことはないでしょう。」
 「・・・そうだな。でもどうやって?」
 「情報改ざんをするんです。」
 光子朗の真っ黒な目が再び俺をとらえた。
 「その方法は、僕の知るところではありませんが・・・おそらく人の記憶や認識を
  いったんデータ化して書き換え、再び戻すといった行為・・・もちろんそんなことが
  できるためには、それほど強大な力を持った者なのだと思いますが。」
 「・・・というと、自殺未遂をとめたっていう事実が、実は書き換えられた嘘だって
  いうことか?」
 「まぁ、可能性があるというだけのことですがね」
 そういってようやく光子朗は口をとざした。沈黙が続く。・・・本当に、そうか?
 光子朗の言っていることはわかるが、いまいち俺は納得しきれない。
 「僕だってこれが100%正しいと思ってるわけではありませんよ。」
 俺の心が読めたのか俺があからさまに顔に出していたのかわからないが、
 光子朗はつけたすように言った。そしてさらに言葉をつなげる。
 「ですが実際に太一さんがデジタルワールドで亡くなったのか現実世界で
  亡くなったのか、ハッキリしないんです。なぜなら、太一さんのそのときの
  デジタルワールドでの滞在時間が不明だからです。」
 「何?それは解析できないことなのか?」
 「いえ。通常各々がデジタルワールドに滞在した時間はタイムラインで残るの
  ですが、そのときの太一さんの滞在時間のタイムラインは、ゲートをくぐって
  数分後から突如消えてしまっているんです。」
 「なんだって?」
 「現実世界に帰るゲートをくぐった記録もありません。ですから、太一さんが
  いったいいつまでデジタルワールドにいたのかわかりません。」
 「デジヴァイスもないのにデジタルワールドに長居してたら・・・」
 「はい、非常に危険ですよね。」
 ますますわからなくなってきた。

 なぁ、太一。お前いったい、何をしてたんだ?
 何を見たんだ?最期に、その目で。

  その後も会議は続いたが、膠着状態のまま先に進めず、ひとまず俺は自宅へ
 帰ることになった。
 「ヤマトさん、太一さんのデジヴァイス・・・少しの間僕に預けてくださいませんか?」
 「あ、あぁ・・・もちろんだ。解析してみてくれ。」
 俺はポケットにしまいかけた太一のデジヴァイスを光子朗に手渡した。
 普通に、渡したつもりだったのだが。
 受け取った光子朗はなんだか呆れたような笑みを見せ、口元で笑って、言った。
 「大丈夫ですよ、少ししたらお返ししますから。」
 そのセリフがいったいどういう意味合いを含むのか定かではなかったが、
 とりあえず光子朗の観察力は怖ろしい、と実感した。
 ・・・いったいこいつは何をどこまで気づいているんだ?
 背筋を凍らせながら、俺は光子朗の家をあとにした。

 「・・・なぁ、いいかげん皆にいっちまおうぜ」
 「何言ってんだ。寝言は寝て言え。絶対にばらすなよ。」
 「なぁーんでだよ!言っとくけど光子朗あたりは絶対気づいてるぜ?」
 「えっ!?ほ、ほんとか?!」
 「あぁ。俺の勘が保証する。」
 「・・・お前の勘のどこに信用性があるんだよ。」
 「えー!あるだろー?!」
 「ねぇよ!その勘を信じてもし気づいてなかったらどうするんだ!」
 「別にどーもしねーし。いいじゃんそれはそれで。」
 「よくねぇ!気づいてないのにばらす必要はない!」
 「えーなんでだよー。俺はもう今すぐにでも世界中に公言してぇよ。」
 「・・・やったらぶっ殺すからな。」
 「だってさー、俺のもんって言っておかなきゃ、また・・・」
 「?」
 「空んときみたいに。彼女できちゃうかもしんねぇじゃん。」
 「・・・あれは・・・あのときは・・・ていうか、空は・・・」
 「なぁヤマト、俺のこと、好きか?!」
 「え?!なんだよいきなり!!抱きつくなよ!!」
 「なぁ、好きか?」
 「・・・・・・」
 「俺は、ヤマトのこと好きだ。」
 「・・・・・・」
 「だから、いつだって不安だ。」
 「・・・・・・」
 「なぁ、ヤマ・・・・・・」

  顔を近づけてきた太一に、自分から唇を重ねた。
 自分から、なんてことは本当に数少なかったから、よく覚えている。
 もっと、もっと、自分からしてしまえばよかった。
 好きだと、好きでしょうがないと、何度でも言ってやればよかった。
 だけど、あのときはできなかったんだ。
 好きという気持ちが、どういうものなのか理解できなかった。
 自分の理解の範疇を超えた気持ちすぎて、とまどいが多すぎて。
 でもとにかく太一の存在が、大きすぎて・・・・・。
 
  しまった。光子朗の一言で思い出しすぎてしまった。
 思い出しすぎると、つらい。また涙が出てきてしまうから。
 気をまぎらわせるために、なんとなく携帯を開いた。
 すると・・・一通のメールが、届いていた。
 名前は、思い出したくないあいつ。
 おそるおそる、開く。いったいどんな侮蔑の言葉が並べられているのか。
 いや、そんなものはどうでもいい。とにかく、絶縁の言葉を送らせてもらう。
 そのために開いた。だが、表示されたのは予想もしていない言葉だった。

 
 悪かった
 帰ってきてくれ
 お前が必要だ
  

 俺はしばし呆然と立ち尽くした。
 何を言ってるんだ?この男は。
 あれだけのことを人にしておいて。
 あれだけ屈辱を味わわせておいて。
 それも昨日の今日で。今さら何を?
 怒りとも何とも言われぬ感情がこみあげる。
 少し気になる気持ちを押し込めて、俺は無視を決め込んだ。
 「消去」というカタチで返答する。
 ・・・絶縁の言葉をおくることはできなかった。
 
   



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 すみませんなんだか話がつまんない方向に・・・!
 なんとか太一さんの真相を解明したいのですが、
 ミステリーみたくなっちゃってすみません。
 二人の絡みないしね・・・!絡みようがないしね・・・!
 すみません。最後は太ヤマに落ち着けたいです。
 濡れ場もなくてすみません(あやまるとこ?)